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武藤敬司にまつわる裏話4選!「あんたらのプロレスはつまんねえんだよ!」

スポーツ・エンタメ
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2023年2月21日に引退が発表されているレジェンドレスラーの武藤敬司さん。
今回は、そんな武藤さんにまつわる複数の面白い裏話についてご紹介していきたいと思います。

武藤敬司さんの引退試合については下記記事からどうぞ!

犬猿の仲であったレスラーとの裏話、武藤さんがあるハリウッド俳優に影響をあたえた大きな影響、そして師匠であったアントニオ猪木さんとの意外なエピソードなど、様々なエピソードについてご紹介します!

武藤敬司と前田日明は犬猿の仲だった!「旅館破壊事件」

天才プロレスラーの武藤敬司さん。

そんな武藤さんはとあるレスラーと若いころは犬猿の仲であったといわれています。
そのレスラーというのが、現在はYoutuberとしても活躍している前田日明さんでした。

1986年、一度目のアメリカへの留学から凱旋帰国した武藤さんは、新日本プロレスに出戻りをしました。
しかし、当時の新日本はUWFとの団体抗争真っただ中であり、まだプロレス=真剣勝負という幻想が色濃く強くあった時代でありました。

この時、UWFの代表であったのが、ほかならぬ前田日明さんでした。
前田さんのファイトスタイルはキックと関節技を主体にした、俗に「U系」といわれるような形であったのですが、アメリカンプロレスに慣れ切った武藤さんからすれば、前田さんたちのやっていることはバカバカしくみました。

そもそも、武藤さんは元々学生時代に国体に選ばれたほどの才能の持ち主であることから、前田さんたちのやっていることは所詮格闘技のまねっこでしかないようにみえたのです。
武藤さんの持つプロレス哲学とは真逆のところにいる前田さん、武藤さんからすれば面白くなかったのです。

また、前田さんも内心武藤さんがアメリカで活躍した事への嫉妬があるのか、かなりきつい蹴りを何度も武藤さんの顔面に入れていました。

このように男の嫉妬とプライドがドロドロに混ざり合う憎悪の関係に二人はありました。

また、UWFと新日本プロレスの抗争は思っていた以上にウケが悪く視聴率でも好視聴率はマークできない・興行成績でも不振というところがあり、新日本プロレスに所属しているレスラーたちからすれば、あまりいいようにはうつらなかったという背景もありました。

そして、1987年1月に事件は起こってしまいます。

その日、九州巡業中であった新日本プロレスの宿泊していた旅館でUWFと新日本プロレス、双方の選手にあいた溝を埋めるために、酒宴の席が開かれました。

普段は飄々とした武藤さんも、その日はひどく酒に酔いつぶれ、UWFの代表である前田さんに怒鳴り散らしたのです。

「あんたらのプロレスはつまんねえんだよ!」

武藤さんは、常日頃から思っていたうっぷんを前田さんにぶつけました。
これに対して売り言葉に買い言葉で対応したのが前田日明という男。
元々関西では有名な不良であった前田さんは、売られた喧嘩は受けるのが本人の美学だったのです。

「じゃあ、じゃんけんで負けたやつを殴ることにしよか!」

前田さんは提案すると、武藤さんを後出しじゃんけんで追い込みタコ殴りにしてしまいました。
それを横で見ていた、UWF所属であった髙田 延彦さんが突如、激高。

「卑怯だぞ!やり返せ!」

すると、高田さんは前田さんを羽交い絞めにして二人がかりで前田さんを殴り始めました。
これがきっかけとなり大乱闘が起き、新日本プロレスは旅館に大きな賠償金を払うほどの大事件となったのです。

そんな大事件を起こした二人ですが、現在の仲というと非常に良好で武藤さん主催のベテランのプロレス選手が多く集う同窓会的な団体「マスターズ」では前田さんが出場したり、ともにトークイベントに参加するなど親交を深めています。

大物ハリウッド俳優も武藤さんのファン

武藤敬司さんといえば、アメリカでも活躍したプロレスラーとして有名ですが…実は彼の存在があるハリウッドの大物声優に影響を与えておりました。

その大物俳優というのが、ドウェイン・ジョンソンさん、こと通称「ロック様」です。

ご存じの方も多いと思いますが、ドウェイン・ジョンソンさんといえば「ワイルド・スピード」シリーズで人気キャラのホブズ捜査官役で有名ですが、そんな彼も元々はプロレスラーをしていました。
その時のリングネームは「ザ・ロック」。
この時のリングネームと日本での愛称「ロック様」がそのまま定着したことで、日本ではプロレスに関係ないファンからも「ロック様」と称されるようになっています。

そんなドウェイン・ジョンソンさんは実は、サモア系のプロレス一族であるアノアイ・ファミリーと黒人の名レスラーであったロッキー・ジョンソンとの間に生まれたサラブレッドでもあったのです。
そんな彼は、青年時代には武藤さんがアメリカで活躍するときに使っていたキャラクター「グレートムタ」のファンでもありました。

そんなドウェイン・ジョンソンは、グレートムタとして活躍する武藤さんの得意技『フラッシング・エルボー』に強い興味を持っていました。
このフラッシング・エルボーをまねる技として生み出したのが『ピープルズ・エルボー』として知られました。

この逸話は以前はネットの都市伝説程度の扱いでしたが、映画「ヘラクレス」の公開の公開イベントにあわせて2014年に来日したドウェイン・ジョンソンさんがなんと事実であることを認めました。
映画のイベントに参加した武藤さんと談笑していたドウェインさんは、なんとそれ以前にも何度か武藤さんと接触があったことを暴露。

2002年、まだプロレスラーとして活躍していたドウェイン・ジョンソンさんは共通の知人で伝説のプロレスラーであるリック・フレアーさんを通じて武藤さんと接触したこともありました。

武藤さんはドウェインさんが自身の技を改造したものをフィニッシャーとして使っていることに対して光栄に思っているらしく、冗談半分で「ロイヤリティーもらおうかな」と言い、ハリウッドの大物となったドウェイン・ジョンソン氏を爆笑させました。

グレートムタには父親がいた!毒霧継承!!

武藤さんのもう一つの人格として有名な「グレートムタ」、実は元々グレートムタには、設定上の父親がいました。

その父親というのが、グレートカブキさんでした。

グレートカブキさんは、1948年生まれの74歳で、ムタに先行する形で「東洋の神秘」ということでアメリカWCCWのマットでヒールレスラーとして活躍していました。

その後、WCCWはWCWに社名を変更。
カブキ選手も北米マットを離れ、日本に戻ってきました。

しかし、このグレートカブキさんの息子という設定で、武藤さんはグレートムタのキャラクターを発案して、大ブレイクをしました。
当然この話はカブキさんの元にも届いており、カブキさんは非常にうれしく感じたことを語っていました。

WCWのマットでリック・フレアーやスティングといった大物選手のライバルとして活躍しました。

カブキ選手から受け継いだ毒霧の技も継承しました。

その後、武藤さんも日本に帰国しましたが、ともにリングに上がった時は、カブキさんのことを「ダディ」と呼び、設定を忠実に守っているのがよくわかります。

師匠だったアントニオ猪木氏への想い

そんな武藤さんですが、実は彼にスパーリングをして選手として育て上げていたのは故・アントニオ猪木さんだったのです。

アントニオ猪木さんは、新日本プロレスの選手の中でも国体上がりのスポーツエリートである武藤さんを特別視し、じきじきに武藤さんを鍛え上げていたのでした。

しかし、アントニオ猪木さんのかかげるストロングスタイルと、武藤さんの信奉するアメリカンスタイルではほぼ真逆の方向を向いており、1994年5月1日に福岡ドームで実現した「猪木vs.グレートムタ」の試合の中では、猪木さんが武藤さんのファイトスタイルに翻弄されるという一幕がありました。

こういったことから、猪木さんを絶対視する古参のストロングスタイルのファンからの武藤さんの評価はかなり低く、猪木信者と俗に言われるファンから敵視されることもありました。

しかし、武藤さんとしては猪木さんのことはやはり尊敬していたらしく猪木さんが死んだ以降に受けたインタビューの中では「猪木こそ新日本、ストロングスタイルこそ猪木」と語り、アントニオ猪木さんと新日本プロレスへの情景を語りました。

また、猪木さんも2022年10月1日にお亡くなりになりましたが、もしも無くなっていなければ2023年2月21日の武藤さんの引退試合の最中にインタビュー映像を撮る予定であったといわれています。

猪木さんの死の寸前まで武藤さんと猪木さんの仲は非常に複雑な師弟愛で包まれていたのでした。

まとめ

今回分かったことをまとめると以下のようになりました。

  • 武藤敬司と前田日明は犬猿の仲だったが、今は和解
  • ハリウッドの大物俳優ドウェイン・ジョンソンさんも武藤さんのファン
  • 武藤さんのもう一つの人格であるグレートムタには設定上の父親であるグレートカブキがいる
  • 武藤さんは、アントニオ猪木さんの愛弟子であった

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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